第138回の芥川賞受賞作品・「乳と卵」を読んだ。私の感想は後に回し、選者評をいくつか。
「仕掛けとたくらみに満ちた良い小説」「最適な量の大阪弁を交えた饒舌な口語調の文体が巧み」(池澤夏樹氏)、「勝って気ままに振る舞っているように見せかけながら、慎重に言葉を編み込んでゆく才能は見事」(小川洋子氏)、「無秩序で煩雑に思えるが、・・・ぎりぎりのところで制御された見事な文体で書かれている」(村上龍氏)、「言葉のエネルギーが持続力を持つものであることを証明する作品」(黒井千次氏)、「作家としての引き出しの多さ」(宮本輝氏)、「饒舌に語りながら無駄口は叩いていない。容れ物としての女性の体の中に調合された感情を描いて、滑稽にして哀切。受賞作にと、即決した」(山田詠美氏)。
選評を寄せた9名の内6名は好意的だが、「この作品を評価しなかったということで私が将来慚愧することは恐らくあり得まい」とまで書いている方がいた。「一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい」。
その方とは、東京都知事・石原慎太郎氏。1955年、「太陽の季節」で芥川賞を受賞した方で、この人の作品は高校・大学時代に結構読んだ。中でも『命の森』に心酔した時代もあった。その後、彼の言動には与しない事が多いが、今回ばかりは同感である。
そんなに小説を読んでいるわけではない私が読んだ芥川賞の遍歴から言って、「エッ、これ何?」って、全くもって不可解だったのが1976年の村上龍「限りなく透明に近いブルー」だった。この方が今では、その賞の選者の一人である。安部公房「壁」、北杜夫「夜と霧の隅で」、柴田翔「されどわれらが日々」、李恢成「砧をうつ女」その他いろいろあれど、純文学の登竜門であるこの賞も時代と共に“変質”してきたなー、思う。
ちなみに芥川賞第一回受賞作品は、石川達三の『蒼氓』。今から丁度100年前のブラジル移民船・「笠戸丸」に乗り組んだ人々がテーマであった。隔世の感がある。その意味では、今回の選者の一人・高樹のぶ子氏が「絶対文学と文芸ジャーナリズムの間で」と題して書いていた一文が、私にはストーンと落ちるものがあった。「自分の中の絶対文学と候補作の距離が許容されるものであるかどうか、許容されるには何が必要か」
明日から一泊二日で会津に出かけてきます。題して「極上のたまて箱を開けに田舎旅 旨酒編」。懐が深く、いつもオープンな会津が大好きです!!
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