カテゴリー「旅行・地域」の73件の記事

2011年1月 4日 (火)

只見線・ただ飲み旅

_1昨年から旅仲間のJ氏と進めてきた「只見線・雪見旅」。「青春18切符」を利用して首都圏からぐるっと一回りし、只見線で雪見酒を堪能しようという企画。実は、3年前に一度決行している。

その様子は、→(http://salty-sugar.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_d58e.html

酔狂な3人に今回は、紅一点・T嬢も加わり、華やかな四人旅となった。私以外の3人は新松戸で待ち合わせて一緒に入札し、武蔵野線・東北本線と乗り継ぐ。私は信越線・両毛線と乗り継ぎ、小山で合流の予定だったが、フレックス定期を利用して大宮まで行き、お三方の乗車車両にサプライズ登場。それが可能なのは、下見ツアーをしたJ氏が乗り継ぎに至便な車両まで綿密な実施要領を配布してくれたお陰。只見線不通時の対応など微にいり細に入りの完璧な企画案は、ツアコン・J氏の真骨頂。(写真は、新幹線・大宮駅にて)

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その後、ほぼ一時間おきに宇都宮・黒磯・郡山で乗り換え、磐越西線・あいづライナー1号で会津若松へ。仲間と話していると1時間がアッというまで「エッもう着いたの」と何度行ったことか。猪苗代でスキー客が降りたところでやっと4人のボックスを確保。干支ラベル・「出羽桜五年大古酒」で磐梯山を愛でながら本日最初の雪見酒開始。盃が干された頃に会津若松に到着し、出札して軽い昼食。J氏が事前チェックしていた駅そばの「喜平そば屋」へ。こしがあって旨いそばだった。

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本日のメーンイベントは、13:10発小出行きの只見線。4人ボックスシートを確保するため40分以上前から並ぶ。その番線には、先発の鬼怒川温泉行き・会津マウントエクスプレスが。中を覗いてみたら、新年を寿ぐ装飾があちこちに施されていた。

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ホームで東京・杉並から来たという少年がしゃがみこんでいる。聞けば、ETCを撮っていたらしい。昨年、新車両になったのかと思ってみていたら、隣にいたおじさんが、「前のは名鉄の車両だったからちょっとさみしい」ともらす。名古屋から来たらしく30年間毎年、夏と冬に只見線の旅をしているとも。

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マウントエクスプレスを見送ってまもなく、小出行きが入線して来た。確保したシートで早速、雪見酒第二弾が始まる。H氏持参の「真澄 吟醸あらばしり」をお手製の「酒盗のクリームチーズ和え」

で頂く。これが旨いのなんのって・・・。小一時間経った頃、後ろ隣の男性が声を掛けてきた。ヤバイ! わいわい五月蝿くて注意されるのかと思いきや「楽しそうなので写真撮っていいですか」ときた。「いやまもなくもっと楽しい事があるのでお楽しみに!」と言って入る内に会津坂下に到着。事前に駅までの出前をお願いしていた五ノ井酒店と石山食堂のお酒と折り詰めを受け取りに改札に行くと、なんとグリーンツーリズムでお世話になったラキ隊長もいる。差し入れまで持って。次の塔寺では、陶芸人さんまでもが仕事を抜け出して来ているではないか。会津坂下町の皆様、ありがとうございました!

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さて、ここで受け取ったお酒は、「天明 美郷錦 大吟醸 無濾過本生」(曙酒造)・「風が吹く 山廃純米吟醸生酒しずく採り」(白井酒造店)・「央 特別純米酒 新酒搾りたて」(曙酒造)・「奈良萬 純米無濾過生原酒」(夢心酒造)の4本。一時間に1本のペースで飲めば、小出に着く頃には飲み干す計算だ。この順で飲み始めたが、最初の「天明」の写真がなぜかない。余りの旨さに撮り忘れたのかも。

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今回の只見線・雪見旅は、圧倒的に撮影枚数が少なく、前回の1/5以下だ。ひたすら飲み、語っていたのだろう。四時間半に及ぶ只見線の旅も本当に「アッ」というまだった。「雪見」旅のはずが、ろくに雪も見ず、ただひたすら飲み続けた只見線・「ただ飲み」旅となってしまった。でも、それもまた良し。“呑み鉄”という新境地を開いたといってもよいかもしれない。

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小出では、前回も寄った駅前の「富貴亭」で夕食をとり、上越線の新前橋で仲間と別れ、信越線に乗り換えて帰宅。私は15時間強の旅だったが、お三方は高崎線・武蔵野線などを乗り継いで18時間余りの旅となった。お疲れさんでした。そして、楽しい旅をありがとう! 

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2010年3月25日 (木)

式根島に向けて

_1_7てんこさんと屋久島へ行くはずが、なんとそのてんこさんは福岡にいる次女・りーと話を進め、既にチケットも手配済み。ならば・・・と私は、かねてより行きたかった伊豆七島の式根島に行くことに。大型客船・かめりあ丸の出帆は午後10:00、式根島着が翌朝9:05の予定だが、天気は芳しくない。ちょっと気になったので17:00過ぎに問い合わせたところ、なんと新島・利島・式根島は「条件付出帆」とのこと。最悪の場合、そのまま東京へ引き返すこともあるという。

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仕事を終えて東京・竹芝桟橋に着いたのは、21:00前。搭乗手続きを済ませて待つこと50分余り。

乗船案内の放送が流れ、ロビーの外に並ぶ。案内されるまま右に折れて進むと「かめりあ丸」が接岸されていた。

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神津島行きの「かめりあ丸」は、全長102.57m、幅15mで重量は3837t、最大積載旅客人員1343名、速力19.4KN。乗り込んだあとに「1ノットって、時速何キロですか」と聞いたら3.3kmだという。ということは、最大時速は64km余りだ。

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船体は七層構造になっていて、旅客がいるのは中の五層(AEデッキ)。下はエンジン音がするので上に行くほどグレードは上がる。夜中の航行なので二段ベット式のチケットを予約。

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3000円弱の差額を支払った「特二等」の私の席はCデッキで、乗船口右手を入ってすぐの所。

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とりあえず荷物を置いて甲板に行くと見事な夜景が広がっていた。シャッターを切るが、全てブレまくり。情けない。寒いので中に入って喫煙所付近の椅子に座り、持ち込んだ焼酎片手に読書していたら眠気が襲ってきた。「特二等」室に戻り、式根島に無事着岸できることを願いつつ就寝。

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2010年3月22日 (月)

耕起・大塩湖・牛伏の湯

一昨日(20日)は、自宅前の畑の除草と耕起。一日がかりで体はへとへと。昨日は予報通り朝から雨。ボロボロ状態の体を癒すべく長野の加賀井温泉で半日休養。

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そして今日は、快晴。新品のマメトラ付きで今年から管理を委託された畑の耕起に出かけた。トラックがないのでマメトラのエンジンをかけて押していく。てんこさんには農具を乗せた三輪車で一緒についてきてもらう。昨年末に一度除草し、耕起しているので草はあまりないが半日かかる。畑から浅間山や妙義山がこんなに間近に見えるとは知らなかった。

13時過ぎに終えて自宅に戻り昼食。

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午後は、てんこさんと富岡の大塩湖周辺を散歩。なんと白根山系が遠望できるではないか。この湖は農業用水用の人造湖で、周囲には桜が植えられ、地元出身の著名人の碑が点在し、野鳥も多い。

_1_3_1_4散歩やジョギング、釣りを楽しむ人など市民の憩いの場となっている。小鳥のさえずりを聞きながら二時間弱で湖を一周し、隣町の吉井へ車で移動。目指すは、吉井温泉。

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上信越道吉井インターに程近い吉井温泉・牛伏の湯。牛伏山にちなんだ命名のようだが、平屋の建物・施設は小奇麗で、内湯は結構広く天上高のガラス張りなので日差しがあふれんばかりで明るい。屋根つきの露天からは小川や木立が望め、小鳥のさえずりが聞こえる。露天はカルキの臭いがしたが、内湯は弱アルカリのナトリウム

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塩化物強塩泉で、やや温め。メタ硼酸が116mg/ℓと極めて多いのが特徴だ。循環してなければ源泉で眼をパチクリさせて、「目の湯」になるのになー。

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2010年1月10日 (日)

成人式・どんどん焼き・鳥追い祭り

東へ西へ忙しない一日。成人式の次女・りーは、5:00に美容室に。7:30過ぎに迎えに行き、軽い朝食後、自宅玄関や実家の蔵の前などで写真撮影し、式場へ。

_1_1_5Photo_5回り道しての帰路、どんどん焼きのために人が集まっているところに遭遇。これまで見た中で一番の大きさだ。二つの地区のこども育成会やどんどん焼き保存会が主催し、抽選会も行われていた。かつては、11415日に行われていたが、近年、1月の第二日曜となった様子。正月の松飾や古い達磨などを持ち寄り、小屋を造り、これを燃やす。Photo_3_1_8製作は前日、3時間余りかかった、という。小枝の先に繭玉やもち、スルメなどを刺し、残り火で焼いて食べると病気しないとかこの煙で体をあぶるとオデキなできないなど無病息災を祈念する行事。 _1_4子供組代表の小六の?君が何やら奏上し、点火して開始。30分余りで小屋は燃え、一斉に残り火に向かう。ややすると周りにスルメの焼けた良い匂いが・・・。

_1_5_1_7自宅周囲を車で回ったら他に今日実施した所が一つ、小屋が作られてあったのが4箇所あり、結構伝承されている行事のようだ。そして、こんな「鳥追い祭り」の幟を揚げているところも発見(絹笠神社)。近くの「んめーーめん」のおやじさんに聞いたら、夜はねぶたのように凄いから来てごらんというので、19:00頃、また出かけた。山車が四台、子供たちが太鼓をたたいている。我が部落では、「奉納道祖神」と書いたものを笹竹に結わえ、「鳥追いじゃ 鳥追いじゃ 地頭どんの鳥追いじゃ」と叫びながら練り歩くが、ここは太鼓で鳥を追い払ったのだろう。Photo_4 それにしても予想以上に壮大な祭りであった。我が部落の「鳥追い祭り」は、毎年11419:00からである。

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2009年11月29日 (日)

講演に先立って

昨日は、遅れていたサトイモの収穫と玉葱の植え付け。それは終えられたが、農作業自体は予定の2/3しか出来なかった。

_1_4今日は原稿を1本仕上げようと思い、いつもの六合村・応徳温泉に向かうつもりが、昨日の屈んだ作業で腰が痛いので、急遽、長野・松代の加賀井温泉に変更。八時過ぎに家を出る。上田市・稲倉の棚田を経て、加賀井温泉・一陽館に着いたのは、10:30頃であった。

Photo_3 今日は、大分込んでいた。二階の休憩室には炬燵が九つあるが、既に七つが埋まっていて空いていたのは入口付近の二つで、テレビの隣に陣取る。ふと、本棚に眼をやると、雑誌や新聞に混じって、政治関連の単行本が置いてあり、なんとその大半が田中秀征氏の本であった。

Photo_4実は、来月2日(水)、田中秀征氏の講演会に参加する予定だったので驚く。なんでここに? しかも5冊も・・・。[『さきがけと政権交代』東洋経済新報社(1994)、『田中秀征の論跡』近代文芸社(1995)、『時代を視る』ダイヤモンド社(1995)、『この日本はどうなる』近代文芸社(1997)、『舵を切れ-堅実国家への展望』朝日新聞社(1999]

Photo_5めくってみたらなんと、三冊に著者のサインがある。十数年前、この加賀井温泉・一陽館に浸かりに来ていたのか? おばさんに聞いたが、勤め始めたのが10年前からなので知らないという。

原稿を仕上げるつもりが、結局、これらの本を読む。思いがけない田中秀征氏との出会いであった。読み終えることが出来ず、2冊ばかり借りて帰宅。

田中秀征氏の講演を聞くのは、二度目となる。時代の転換期に日本の政治をマクロの立場から動かしていた氏が、かつての盟友で現首相・鳩山氏の政治をどう語るか、楽しみは尽きない。借りてきた2冊の本をこの一両日で読み、二日に備えよう!

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2009年11月20日 (金)

九条ねぎラーメン

今日は、低迷する労働環境をめぐる研究協議で松戸へ出張。各営業所とも種々問題を抱えている中で、我が所はまずまずの業績と胸をなでおろす。Haramatudoさんの所は、抜群の業績。さすがである。

Dsc01618午後からの協議を前に昼食。前夜飲み過ぎたせいか「九条ラーメン」の看板に惹きつけられて入る。太麺・細麺の二種類あるらしいが、細麺をいただく。出汁は、魚介系。まずまずのお味であった。

Dsc01620 その後、レトロな街並みを求めて周辺を散策。旧赤線地帯に向かったはずが、どうやら道を間違えたらしい。でも、ビルの一角で昭和を感じさせてくれる建物を発見して嬉しくなる。

午後の協議には職安の方も加わり、ほぼ予定通りの時刻に終了。新幹線の定期が切れていたので、帰社せず上野に向かい、高崎線の各停で二時間あまりかけて帰宅。久しぶりに早い帰還であった。

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2009年11月14日 (土)

草津から熊の湯へ

国道の日本最高所がある志賀草津道路は、冬季閉鎖になる。今年は11月16日からだと知り、行ける最後のチャンスとばかりに向かったのは、渋峠の先にある熊の湯ホテル。エメラルドグリーンの硫化水素泉が私はたまらなく好きで、年に何度か訪ねている。

_1_13安中は小雨だったが、浅間隠温泉郷付近では雨は上がっていた。R406号の須賀尾峠を下ってR145号に出て、大津の交差点から292号で草津に向かう。草津節のメロディーポイント付近に来たらまたまた雨模様。_1_6_1_4 草津の町を抜けたら紅葉は既に終わり、冬の気配。ガスも段々ひどくなり視界は15mくらい。熊の湯ホテルに着いたのは、13:00近かった。

_1_8_1_9_1_7紅葉は終わり、スキーシーズンにはまだ早い。ホテルの駐車場に車はほとんどなく、ホテルも閑散としていた。私にとっては、願ったり叶ったり。案の定、先客は一人で、まもなく上がったからMy温泉に。好きな温泉を独り占めだ。_1_10 真綿に包まれたようなエメラルドグリーンの湯、ほのかな硫化水素臭とカルシウムの甘い香りは、身も心もとろけさせてくれる。最高の癒しである。湯上り後も、身体についた甘い湯香がまた幸せな気分を増幅させてくれる。

_1_11_1_12 多忙だった秋のイベントも全て終わり、冬に向かうわが身を見事に再生させてくれた熊の湯温泉に感謝!! 帰路は、平床大噴泉にちょっと寄り、中野・須坂・真田・東御・軽井沢を回って帰着。

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2009年11月 8日 (日)

倉渕・道祖神の里めぐり

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昨年は仕事で参加できなかった旧倉渕村の「第8回道祖神の里めぐり」に出かけた。今年は、てんこさんも一緒だ。九時過ぎに倉渕中央小学校に着いたが、既に100人以上の列。今年の参加者は、358人らしい。10人余りで1グループとなり案内してくれる。待つこと30分余り。_1_6やっと順番が回ってきた。_1_5案内役は、倉渕中学校の二年生・K君と1年のIさん。隠密マニアルにない質問にも答えてくれるすばらしいガイドであった。

_1_3_1今年は、約6キロの「権田コース」で、3時間半の行程。まずは、学校裏手の馬頭観音からスタート。近くにはこんな花も。_1_9_1_11塚越下の道祖神から椿名神社の道祖神まで10箇所15体の双体道祖神に出会うことが出来た。

371_1 男神と女神が雛人形のように座っている元禄時代に造られた元禄雛型の道祖神や杯を三段重ねした祝言系の道祖神など他地域には無い倉渕独自の珍しい双体道祖神が見れた。_1_4372_1肩を組み袖の中で手を握りあっている像(花輪上と上ノ久保上)は、姿態がシンメトリーで美しかった。

_1_2今日の一番のお気に入りは、水有の二体。中でも右の道祖神。 意味ありげなものを握り締め、恍惚状態(?)の女神、その隣では健やかな顔立ちの男神が合掌している。うーん、えもいわれぬ素敵な双体道祖神であった。

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2009年10月18日 (日)

「秋山記行を読みとく」シンポジウムー2-

_1Img_0955_1 二日目の発表が始まる前に、全国でも珍しい結東の石垣田を見学。稲刈りは既に終わっていたが、思ったより一枚が大きく、かつ数も多かった。その後、会場に程近い社へ。二十三夜塔や庚申塔など石仏を見学。

_1_23_1_24今日は、新田康則氏の「秋山郷のかたち~開かれた秋山像に向けて~」から始まる。伝統的な景観や民俗の残る特殊な地などと語られることの多い「秋山」は、「北越雪譜」の初篇に秋山記行のエッセンスが掲載され、「北越雪譜」の大流行によって秘境のイメージが増幅・固定化され一般化したが、果たして他地域と隔絶した社会だったのか? 牧之が來村する前に創建された屋敷の薬師堂には、出雲崎の寄付者なども記載されていることなどを例に、周辺地域との交流はあったし、妻飾りなど住まいの共通性から見ても、流行のタイムラグを捉えて「特殊だ!」といっているのではないか? 新たな視点の提示である。

_1_4_1_8次いで大楽正和氏の発表は、「病・死・祈り―秋山の信仰世界」。牧之が記述した疱瘡除けや注連縄、黒駒太子から秋山の信仰世界を読み解いてくれた。_1_9とりわけ太子信仰の広がりの例として岩手県中南部に分布している引導仏信仰「まいりの仏」や善光寺信仰との関わりに言及。第三のキーワード「祈り」では、「十二山の神」「樹木と信仰」について語り、大木が神木として信奉されていたと報告。私は、その神木が結界や塞神の役割も果たしていたのではと考えるが、いかがか?

_1_25_1_13_1_11 お二方の発表後、秋山郷探訪ということで見倉にマイクロバスで移動。万延元(1860)年の庚申塔を見た後、集落方向に歩いているとマムシ花を発見。道路の反対側には、正真正銘の蛇が出現。

_1_14_1_15_1_22 新潟民俗学会の生みの親・小林存碑の説明を受けたあと、集落を散策。そばやこんにゃく玉が収穫され、稲のハサがけも。この横の棒は太い方が風通しが良いからいいらしい。なるほど。_1_17_1_16その後、風穴を利用した自然の冷蔵庫に案内された。中に入ってみたら確かに涼しい。その左には、椅子が。後ろからかすかに冷気が出ていた。暑い夏、農作業の合間にここでしばし涼んだのだろう。自然を生かし、利用尽くしたのどかな農村風景があった。

_1_18_1_19_1_20秋山で私が気になっていることに、屋根の形状がある。いわゆる「グシ」だが、「大工がその形を競っているのでは・・・」という方がいたが、果たしてどうなのやら。_1_21 シンポジウム会場近くの中門造りの家の屋根は、エアサイクルになっていると思うがどうでしょう? 見倉の家屋の破風飾りには「寿」「水」などと書かれていた。またまた、来る楽しみが増えた。

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2009年10月17日 (土)

「秋山記行を読みとく」シンポジウムー1-

_1_1_2越後・塩沢出身の鈴木牧之が十返舎一九の勧めで訪ね、書いた「秋山記行」。そこを旅したのは、文政11年(1828)の晩秋、旧暦9814の六泊七日。_1_14 新暦では、丁度今頃だ。折りしも新潟県・津南町の「農と縄文の体験実習館・なじょもん」の秋季企画展が『秋山記行を読みとく』だと先月知った。そのシンポジウムが今日と明日の一泊二日で開催されるので申し込み、参加した。

 

_1_4_1_5早朝自宅を出発。湯沢の山の湯で一浴後に津南に向かい、まずは企画展を見になじょもんに寄る。その後、シンポジウム会場の「かたくりの宿」へ。ここはかつて津南町立秋成小学校結東分校だったところ。今は温泉宿(結東温泉)に生まれ変わっている。

_1_6_1_7今日のシンポジウムは、お二方の講演と新進気鋭の若い研究者の方3名の発表。滝沢秀一氏の「私と秋山」のお話から始まり、次いで池田亨氏の「あけやま谷に探る点と線―歴史と民俗―」の講演。この話は中々興味深かった。中世から鷹巣山として入山禁止・伐採禁止の山だったが、巣守りの生活保障などのために許されたところがあり、巣鷹山の「あけやま」だった、というのだ。

_1_10_1_11高橋由美子氏の「牧之の眼・牧之の筆―秋山記行の挿絵を読みとく」は、「秋山記行」の18枚の挿絵から秋山の暮らしや民俗を読み解くものでこれまた眼から鱗。_1_12 「運搬用具と服飾のあいだ―アンギン袖無を中心として」を話してくれたのは陳玲氏。寒冷地の生活とりわけ衣生活を研究している方で、生活用具としてのアンギンを知る方法についての発表。(アンギンについては、写真参照)

鈴木秋彦氏は、「秋山郷における毛皮の製作と利用」と題し、マタギの世界の一端を垣間見せてくれた。すごく刺激的なシンポジウムで、4時間があっという間に過ぎてしまった。明日はフィールドワークもある。楽しみである。

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