カテゴリー「石仏」の54件の記事

2011年1月 2日 (日)

陽気に誘われ道祖神巡り

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今日はぽかぽか陽気。午前中は、炬燵で本を読んでいたが、陽気に誘われて外出。会いたくなったのは、安中・西上秋間の飽馬神社そばの梅林に佇んでいる双体道祖神。その世界ではつとに知られた元祖・餅搗道祖神である。かつては公民館に置かれていたが、本来の場所にといつからかこの地に戻ってきた。かなり傷んできていて銘年はあれど判読不能。、物の本に寄れば、「文政八年乙酉」(1825年)とある。その姿態、餅つきの意味など全国的にも珍しい貴重な道祖神ゆえ、屋根を掛けなどの対策を取るべきだと思うのだが・・・。以前書いた記事は、次を参照。

http://salty-sugar.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-ab9a.html

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他に十余りの道祖神めぐりをしたが、お気に入りは次の二つ。まず一つは、安中・古屋の軍配道祖神。この写真では良く分からないが、左の男神は、左手で軍配らしきものを持ち、右の女神は、並立ではなく男神の方を向き、右手で男神のお腹をさすっている。股間に手を置くのは結構あるが、軍配同様ちょっと珍奇な道祖神である。

1

飽馬神社から滝ノ入を経て、安中榛名駅に向かう途中で見たこの文字道祖神の書体は中々面白いし、何かをデフォルメしているのかも知れない。背面右に銘年が書かれてあるが、判読できず。

その後、倉渕・熊久保の道祖神を巡り、川原湯温泉・笹湯に浸かって帰宅。

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2010年6月 5日 (土)

日本酒の勉強会・・・午前の部・・・

旧倉渕村(現高崎市)のNPO法人・源流が主催する「日本酒の勉強会」に行ってきた。昨年HPで知り、是非参加したいと思っていたので念願が叶ってうれしい。毎月頂いているお酒の蔵元・牧野酒造に関わるイベントだからだ。

Photo_1早朝5:00に起きて二時間半余り畑の草かきをし、シャワー・朝食後に出かけた。9:30集合の午前の部から参加。昨年は、酒林作りだったようだが、今年は道祖神巡り。私のために企画されたといっていいプランだ。ここ倉渕には、77カ所114基の道祖神があるらしいが、今日は水沼コースを案内して頂いた。戸榛名神社を皮切りに、小栗上野介忠順(後述)の鎮魂慰霊碑やパン工房・湧然に寄りながら歩く。

_1_2パン工房のご主人は地元優良企業に勤めていたが、アトピーの酷いお子さんのために種々研究していく中で脱サラして始めた県外の方らしい。国産小麦100%、値段も手頃で、自然な味わいのおいしいパンだった。毎週水・土の二日間のみの開店とのこと。

道祖神巡りは二時間強で11カ所を回り、合掌系7,肩組み手握り系7,酒器持ちの祝言系3、その他1の18基に会うことができた。一番のお気に入りは、台座近くに「坂下邑中」と刻印された一基。

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男神が右手で女神の腕を握り、左手で女神の肩をぐっとたぐり寄せ、優しく微笑んでいる。女神はといえば、右手を男神の肩にそっと添え、眼を閉じ、男神に頬を寄せて恍惚状態。欠けたからなのか、女神の左の耳は福耳のように大きく、碑全体が朱で塗られているように見えたのは気のせいか? それにしても、えも言われぬ微笑ましい和合の像である。

_1_3次いで見た大谷戸と相間森の二基は、縦長で碑高と像高がほぼ2:1の珍しい道祖神。映画・クライマーズ・ハイの舞台になったというお宅の前を通って倉渕中学校体育館の裏手へ。

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ここにあった五基の道祖神は、この周辺の辻にあったものを道路改修かなんかの時に移設したのだろう。

4基は肩組み手握り系の道祖神で、彫りも深く微妙に姿態が違っていて面白かった。

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昼食は、牧野酒造の上にある「そば処 利久」。ヨモギの入ったそばをこしあぶらなどの天ぷらとともに食す。添えられた漬け物の中で一番の人気は、小梅の梅干し。「梅エキスを毎日飲み続けたら、ガン細胞が消えた」等の話で盛り上がる。そばがきならぬそば団子をデザート(?)代わりに頂いた後、今宵の宿に車を置き、マイクロバスでメイン会場の牧野酒造に向かった

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2010年5月 1日 (土)

川場村周辺にて

_1『花と道祖神』を求めて、沼田・上発地に三週連続で出かけ、やっと願いがかなった。満開はやや過ぎていたが・・・。私と志向が同じ人はいるようで、しばらくしたら二人組みのマニア(?)が到着。男性は、道祖神の前で這い蹲るようにして撮っていた。

前回同様に川場村上界戸のマリア観音へ向かう。こちらはまだ三分咲きといったところ。とりあえず何枚か写真に収める。

_1_2

この近くにある「西向き道祖神」を先週探したが見つからなかったので、再度挑戦。数年前の記憶を冷静に辿ったら、迷うことなくすぐに見つかった。男神が盃を、女神が徳利を持つ祝言系の肩組像である。

_1_3

その後、

3年前に訪ねた「隠れキリシタン墓」に向かうが、こちらは記憶が定かでなく辿り着けない。車を走らせているうちに、双体道祖神一基と珍しい像を発見。中野という地名にあるこの道祖神は、清々しい顔立ちで実に爽やか。男神の口が逆への字で面白い。酒器持ちの一般的な祝言系の像だと思ったが、良く観たら盃を女神が、徳利を男神が持っていて、さっきと持ち物がまったく逆だ。手握り系の道祖神でどっちが腕をつかみ又は握っているかと同様に検証のテーマが増えた。

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1_1珍しい像というのは、中野のやや北・平石川に架かる橋近くの墓地の一角にあった。舟後光の碑型に三神が合掌し並立している。三神並立像の初見である。同じ墓地には、私の双体道祖神巡りの出発点となった海野宿(東御市)の道祖神と似た像もあった。これは墓石なのか道祖神なのか?

何とか見つけたキリシタン墓は、戸丸家の墓地の一角にあった。江戸時代初期に沼田周辺で布教活動をしていた東庵の次女・おまの夫・半三郎の墓とされる。墓碑には、延宝七年七月十八日 「雲巌亮景居士」とあり、戒名の上部に梅が浮き彫りされている。

Photo

これが十字を意味し、「景」が信徒を指すのだという(田中澄江『群馬の隠れキリシタン』上毛新聞社)。確かに中国では、ネストリウス派キリスト教のことを「景教」というから“「景」が信徒を指す”というのは分からないでもないが、「梅が十字」とうのは解せない。あちこちの古い墓石を見ていると梅の浮き彫りは結構見かけるからだ。

花は待ってくれないから北毛に通ってきたが、さあ明日からは畑仕事に勤しまねば・・・。

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2010年4月24日 (土)

沼田・上発知から川場・上界戸へ

四月になっても雪が降り、ストーブを使っている今春は、これまでにない異常気象である。まー、お陰で桜を長く眺められるが・・・。

_1今日はそろそろ見頃だろうと思って沼田市上発地にある枝垂桜と道祖神を撮りに出かけた。まず前橋の新井酒店でホッピーを購い、渋川経由で沼田に向かう。沼田市街の桜は少し散り始めていたので、迦葉山の麓に当たる上発地の桜はきっと・・・と期待していたが、着く頃には小雨が雪にかわり、ちらつく有様。

_1_2

枝垂桜は、まだ蕾の状態だった。例年より二週間余りは遅れている。次週の再訪を期して、望郷ラインで川場村上界戸へ。

_1_3ここには珍しい石像が二基ある。一つが「子育慈母観音」で、もう一つが「足踏み道祖神」だ。前者は、隠れキリシタンの村・川場にふさわしいマリアのような観音様。

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その隣にあるのが、これまた珍しい双体道祖神である。肩組み手握り系の標準的な双体道祖神のように見えるが、よく見ると男神の左足を女神が踏んでいるのがわかる。大塚省悟氏の『やぶにらみ道祖神考』によれば、聖天系といわれる「踏足像」で、性的な意味合いがあるのだという。県内には六合村・高山村など他に五例あるらしい。

_1_6その後、武尊温泉近くの道祖神探しに行く道すがら、石仏群が見えたので車を止めて近づくと、お地蔵さん、庚申塔、馬頭観音など20基余りが鎮座していた。

_1_8

中に鮮やかな筆使いの庚申塔と健やかな顔立ちの馬頭観音があった。庚申塔の造立は万延元年(1860年)

帰りは今井峠を越えて高山村・中之条町を経由して旧倉渕村の牧野酒造で大好きな「馥露酣」と「牧野」を買って帰宅。Img_3639_1自宅近くの踏切で丁度電車がくるので車中からカメラを抱えたら、なんと見慣れない電車であった。この電車は、なんだろう?

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2010年1月30日 (土)

ポスト修理から道祖神探しまで

_1午前中は、壊れたポストの修理。30分位で終わると思ったら一時間以上かかった。このポストは、越してきて作った二つ目のもの。初代ポストは、右下に写っている我が家の150のポスト。新築時の端材を使って自宅の設計図を基に作ったものだった。(どんな感じで使っていたかは、今年の13の記事の写真参照。)

_1_2 昼食後、予約しておいたDVDを取りに図書館へ。途中、浅間山の噴火口から雲が上がっているのが見え、ちょっとここまで引き返してきた。ずっと狙っていたアングルだが、なかなかそのチャンスに巡り合えなかった。でもちょっと、いまいち。

_1_3図書館から向かったのは、安中・西上秋間。見つかっていない道祖神探し。弘法橋に行ったら様子が違っていた。昨年の7・4「悉皆調査も終盤」(http://salty-sugar.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-3731.html)で「不届きものに持ち去られた」と書いた石仏が戻っているではないか。良く見たら、双体道祖神ではなく、文化12年(1815年)の馬頭観音だった。代わりに誰かが持ってきたのか、持ち去られた現物かは不明だが・・・。_1_4この橋から数十メートル進んだ所で新たな道祖神発見。ひょっとしたらこれが、「向原の道祖神」かも知れない。

_1_5 _1_6 西上秋間・下り貝の道祖神は、今日も発見できず。2_1 仕方なく、大戸貝の道祖神に寄ってみた。旧道を下った先には牛舎があり、その右手前の土手に牛を見下ろすように佇んでいる。人々の手向けからこの光景になったのは、いつからなのだろうか?

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2010年1月18日 (月)

どんな意味が…?

_1昨日見た旧倉渕村・天満宮の道祖神のことが頭から離れない。見たときすぐに感じ、なんかありそうだと思ったが、わからない。何かといえば、自然石に彫り込んだ文字道祖神の右側が、一定の間隔で削られている。こんな道祖神は初めて見た。_1_2不思議だなー、と思っていたが、左隣にあった双体道祖神の右側も欠けているのに今日気づいた。これも意図的に削ったのだろうか?

十字が刻印された安中・打越に次ぐ、疑問その二の道祖神である。

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2010年1月17日 (日)

いつしか草津へ

_1今日は、五霞のどんどん焼きを撮影後、原稿を仕上げるときにはよく行く六合村・応徳温泉へ。我が村では「どんど焼き」と言う。点火後に少しづつ集まり始めたが、以前に比べたら寂しい限り。_1_2と、思いながら車を走らせていたら、11日に紹介した秋間小学校前には百人以上の人だかり。この違いは、何なのだろうか?

_1_3_1_4安中から旧倉渕村に入り、天満宮そばの道祖神には、どんどん焼きで焼いたと思われる繭玉が供えてあった。草津街道・大戸の関所を左折して進んだ東吾妻町・関谷橋の道祖神にも繭玉が・・・。小正月行事があちこちでしっかりと伝承されている。

昼頃着いた六合村の応徳温泉。炬燵で一仕事するはずが、暖房がなく、誰もいない。Photo 受付のおじさんも代わり、しばらく来ない内に凄い様変わり。休憩室には、こんな掲示も。昔の「くつろぎの湯」は、どこへ行ってしまったのだろうか? 寂しい限り。

Photo_3Photo_2予定を変更して30分余りであがり、悩んだ末に草津の共同浴場・巽の湯へ向かう。入口が綺麗になり、客は誰もおらずMy 温泉を堪能。珍しく、暮れる前に帰宅できたのであった。

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2010年1月16日 (土)

今日見た道祖神

14日は、沢渡温泉で道祖神祭りがあり、我が村でも19:00から鳥追い祭りがあったが、仕事で出れず残念。そんなこともあり、今日は自宅周辺の道祖神巡りに出かけた。新たに見た文字道祖神は9基。そして双体道祖神1基を発見することが出来た。

_1_1_3 まずは、鷺宮・下平付近の庚申塚。墓地の一角に青面金剛碑が見え、その背面には70余りの庚申塔が並んでいたが、一基だけ異なるものがあった。「道祖猿田彦太神」という神道系のもの。安中で三基目だ。

_1_4何より嬉しかったのは、三石住民公会堂の玄関脇に庚申塔などと共にあった文字道祖神。寛政年間(18世紀末)の造作のようだが、文字が隠し絵になっている。

_1_51その後、上間仁田周辺を渉猟し、やっと双体道祖神を一基発見。三度目の正直だ。三基並んだ石仏の右二つは磨耗が激しく良く分からないが、一基は文字道祖神かも。一番左の小さいのが、探していた道祖神。しかし、半身がコンクリートで固められていて姿態があまりよく分からない。肩組み手握り系のように思えるが。

_1_6 夕刻、自宅近くの五霞の畑に、どんどん焼きの小屋が・・。なんと、竹で鳥居が造作してある。近づいてみたら、「どんど焼き 117日九時から」と書いてあった。明日が、楽しみである。

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2010年1月11日 (月)

どんどん焼き小屋と道祖神

_1_1_2_1_3成人式を終え福岡に帰る次女を駅まで送り、その足でどんどん焼き小屋の調査。市内全域を見たわけじゃないが、五箇所で小屋発見。基本の形は同じだが、微妙に違っているから面白い。最初のものは安津間橋そば、二個目は「館の立てない道祖神」と、三個目は秋間小学校前。一箇所に小屋二つは初見。そして、雨や雪に備えてシートをかけてある小屋(中秋間)もあった。Img_2090_1これらは、114117に実施するのだろう。所によっては、このどんどん焼きの火の中に道祖神を投げ入れた所もかつてあったと聞く。その名残で煤けている道祖神を長野・真田町で見たのは何年前だったか?

_1_5今日は、新たに4基の双体道祖神を発見した。3基は秋間梅林の中。昨年三度も探索したのに見つからなかったもの。2_1 それは、山ノ神様のところにあった。磨耗してほとんど姿態は不明のものもあるが、一番鮮明なのは、碑型が打切り・姿態が合掌系のこれ。

_1_6梅林の道路を隔てた貝戸沢を歩いていたおばさんに聞いて見つけたのは、肩組み手握り系の道祖神。_1_7 この道を行き来したのは五度や六度ではなかったので感慨も一入である。

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2010年1月 5日 (火)

初雪・道祖神・かたくりの湯

_1今朝起きたら一面の雪。二年ぶりの降雪だが、春雪のごとく昼前には消えてしまった。正月休暇は今日まで。年末返せなかったDVDを返却すべく高崎図書館に行く。その足で向かったのは、八ツ場ダムで話題の長野原町。_1_8 映像がよく流された『やんば館』前の湖面二号橋(仮称)は、橋梁がもう時期繋がりそうなくらい工事が進捗していたので驚く。

今日は、ここが目的地ではない。先月見つけたあの「幻の○△温泉」の泉質に近いと感じた川原湯・林地区にある『かたくりの湯』とその近くの玉城山神社にある双体道祖神の実地調査。

I_1_1_3 R406で横壁地区への入口を過ぎてすぐ右折し、林地区へ。何年ぶりだろうか? 『かたくりの湯』周辺は大分変わっていた。まずは玉城山神社へ。鳥居をくぐって石段を昇ると拝殿の右手の末社の脇に道祖神四基があった。男神と女神の姿態は、片や合掌、片や弊持ちなど同じものはない中、一番左の道祖神は、男神と女神が共に相手の股座に手を伸ばしている。_1_4しかもこの交差した手と着衣がパラレルになっていて、あるものを暗示している。 いやー、この像は凄過ぎ。興奮冷めやらぬ、といいたいがかなり冷え込んでいたので、『かたくりの湯』へ向かう。神社から数十秒のところにある。

_1_5_1_6川原湯には、八ツ場ダム関連で旧建設省が住民懐柔策(?)として掘削し、住民に提供した共同浴場がいくつかある。一般に公開しているものとないものがあり、公開しているのはこの「かたくりの湯」のほか横壁温泉・岩陰の湯・天狗の湯くらいか。その「かたくりの湯」。_1_7 灯油系の鉱物臭が特徴、というのが何年か前の初入湯の感想だったが、今日はそんなに強く感じなかった。これを弱めた感じがあの「○△温泉」と思っていたが、成分分析表を比較すると大分違う。まだまだ、修行が足りないようだ。

二湯の比較

○△の湯

かたくりの湯

 

 陽イオン成分(mg)

300.49

1129.64

1

ナトリウムイオン

(Na+)

210

673

2

カリウムイオン

(K+)

8.26

7.78

3

マグネシウムイオン

(Mg2+)

13.3

0.28

4

カルシウムイオン

(Ca2+)

67.4

448

5

アルミニウムイオン

(Al3+)

0

0.4

6

マンガンイオン

(Mn2+)

0.81

0.02

7

鉄(II)イオン

(Fe2+)

0.72

0.16

 

 陰イオン成分

575.1

1866.42

1

フッ素イオン

(F-)

0.1

2.2

2

塩素イオン

(Cl-)

385

1626

3

硫化水素イオン

(Hs-)

0

0.93

4

硫酸イオン

(SO42-)

15.7

226

5

炭酸水素イオン

(HCO3-)

173

11.1

6

炭酸イオン

Co32-)

1.3

0.19

 

 非解離成分

47.2

146.6

1

メタケイ酸

(H2SiO3)

44

72.7

2

メタホウ酸

(HBO2)

3.2

73.9

 

 溶存ガス成分

3.1

0.1

1

遊離二酸化炭素

(CO2)

3.1

0

2

遊離硫化水素

(H2S)

0

0.1

総 計

925.9

3142.76

PH

8.0

 

泉温

25.4

 

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