カテゴリー「石仏」の38件の記事

2009年9月13日 (日)

新たな双体道祖神を発見

秋のイベント第一弾が昨日終わり、2週間ぶりの休み。午前中はまったりというかボーとしてというかなんなく過ぎてしまい、昼食後カメラを抱えて出かける。主目的は、田んぼの面白発見。案山子をはじめとした「防鳥対策」のあれこれ探しだ。(これについては、後日UPします)

_1今日は、うれしい発見が二つ。「手握り『十字』道祖神」と「空中浮遊道祖神」の発見である。前者は、7月に書いた「館(たて)の“立てない”道祖神」に程近い打越川に架かる橋の袂にあった。3月に訪ねたときには気づかなかったが、再訪してじっくり眺めていたらなんと手握り双神の頭上に十字がしっかりと線刻されているではないか。これまでに見た300基余りの双体道祖神では初見。果たして、隠れキリシタンとの関連やいかに? 周辺の聞き込み調査が必要のようだ?

_1_2ついで、「空中浮遊道祖神」。こちらは打越から北西に進み、秋間川が南に大きく蛇行している辺りにあった。_1_3 先人の著したどの本にも載っていないもの。新発見といって良いかも。だいぶ磨耗しているが、最大の特徴は雲上型じゃないのに足が高い位置にあり、浮いている感じだ。勝手に「空中浮遊道祖神」と名づけてしまった。これで安中の双体道祖神の新発見は、四基目。さて、次はどんなものに出会えるやら・・・。

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2009年7月20日 (月)

BEFORE & AFTER

  • BeforeAfter_2 修理した草かきの写真はないが、庭の一部の“BEFORE & AFTER”は、これ。次女のために7・8年前に手作りしたバスケのネットに、キュウイの蔓が巻き付き、芝の庭とは思えない草ぼうぼうの庭も少しは見れるようになった。二時で切り上げ、シャワー・昼食後、下仁田町へ。

  • 石渕橋手前で道祖神発見。文字道祖神は、嘉永七年(1857)造立とあったが、双体道祖神は痛みが激しく、姿態は不明。
    Imgp7703

だいぶ前に壊れた草かきを朝から修理し、研いで使えるようにして庭と垣根周り、畑の草刈り・草かきを行う。汗だらだらで、着衣は貼り付き、地下足袋もグジョグジョ。夏到来を実感。

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2009年7月12日 (日)

「花と道祖神」を求めて

Photo_7 昨日、安中市内の不明道祖神探しをしていて気づいたのは、名前の知らない木の花が満開だと言うこと。そういえば、私の好きな長野・真田町本原の道祖神の所にもその木はあったなーと思いだし、朝4時には目が覚めて居ても立ってもいられず早朝から出かけた。稲倉の棚田にも寄らずに一直線に向かったが、安中よりは積算温度が低いのかちょっと早かったようだ。残念。来週又来ることにしよう。

その後は、加賀井温泉で3時過ぎまで三浴しつつ、悉皆調査データのまとめ作業。昨日までで確認できた安中の双体道祖神は94基。姿態別で一番多いのは、肩組み手握り系35。次いで合掌系26基、摩耗著しく不明が23基、酒器持ちの祝言系は7基、その他3だった。祝言系が意外に少ないので驚く。

Photo_8Photo_9 帰路は、私の双体道祖神巡りの出発点となった海野宿(東御市)の道祖神に会いに行き、道すがら思いも寄らない二基の道祖神にあえて、充実した一日であった。

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2009年7月11日 (土)

館(たて)の“立てない”道祖神

1113 この道祖神を初めて訪ねたのは3月。辻で悪霊の侵入を塞ぐ神・道案内の神などといわれる道祖神が、田んぼの畦に横たわっているとはつゆ知らず、ずいぶん探し回った。「風で倒され、立ち寄る人もなく放置されているのだろう」と思いつつ、上から足が写らないように写真を撮った。

Photo_5次に訪ねたのは、6月15日。道路の反対側の畑ではおばあさんが鍬を握り、そばに愛犬が佇んでいた。私の力で起こせそうな大きさなので、立ててやろうかと一瞬思ったが、変に疑われるのも嫌なので、やめにした。

Photo_6 その後、全性寺の道祖神を撮っていたら畑にいた方が寄ってきたので挨拶したら住職さん。色々教えていただき、帰宅後写真をプリントして持参したらお茶を出され、奥さんとも話すことに。その奥さんが「館(たて)の道祖神は、見ましたか?」というので「はい」と応えたら、「あの道祖神は、建てるとよくないことが起こるから寝かせてあるらしい」という。あー、そうなんだ。勝手に立てずによかったと胸をなで下ろした。

0711 そして今日、再訪したら田んぼの水を見に来ていた方がいたので聞いたら、立てるとこの村に火事や交通事故などよくないことが起こるのだという。07111いつ頃からかは定かではないが、災厄を起こさない神ということなのだろう。全国でも珍しい謂われかも?!

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2009年7月 4日 (土)

悉皆調査も終盤

安中市にある双体道祖神の悉皆調査も終盤。これまで90基を超える道祖神に会うことができたが、残るは10基余まり。これが中々手強い。道行く人に尋ねたり、近所のお宅を訪ねて聞き込みをするが、ヒットの確率は1割以下だ。「どうそじん」さえ知らない人もかなりいる。

Photoそんな中、今日新たに会えたのは、笹原の道祖神。四度目の正直だ。訪ねたお宅の御主人が周辺の神社の神主さんで、なんと我が家のご近所・Aさんの奥さんの実兄だった。Photo_2世間は狭い。そのNさんに案内してもらった道祖神は、竹藪の中にあった。この地所のおばあさんが管理していたらしいが、亡くなってから畑に竹が入り鬱そうとしてしまったらしい。よそ者が見つけようとしたって見つかるはずもない。感謝!!

そしてもう一基は、向原(ムカイバラ)の道祖神。ここを探しに来たのは3度目だが、結構離れたところで畑仕事をしていたご夫婦に聞いて合点がいった。Photo_3「ああー、ありゃー1月に盗まれたーね。石と石の間が開いてただろう!」と旦那さん。それは、弘法橋そばの石仏群のところにあったらしい。ついさっき弘法橋に行って見てきたばかりなのに、言われるまで全然気がつかなかった。不届き者によって持ち去られたのが確認できたのは、これで二基目だ。残念で仕方がない。

Photo_4 中後閑・堀ノ内橋のそぼに佇む「風化された美」といわれる双体道祖神に立ち寄って、滅入った気を晴らしたのだった。

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2009年6月28日 (日)

「性系」道祖神巡り

今年の梅雨は、例年になく週末晴れることが多い。昨日は朝から快晴だったので、一日畑仕事。草との闘いでへとへとだった。腰や節々の痛みを和らげるべく今日は、久々の温泉行き。目指すは、六合村の「やすらぎの湯」。9時過ぎに家を出たのに、中々辿り着けない。というのも道すがら目についた道祖神に車を止め、見入っているからだ。(わざわざ寄っているともいえるが・・・)

上州の道祖神研究の双璧といえば若林栄一氏と大塚省吾氏。私が双体道祖神に嵌るきっかけとなったのは、大塚省悟氏の『やぶにらみ道祖神考』を読んだからだった。氏は神像碑の姿態を①合掌系②肩組み手握り系③酒器持ち系④幣持ち系⑤雲上像系⑥あからさま性系⑦秘めた性系⑧特殊像系の八つに分類している。六合村に行くことにしたので、今日のテーマは、「性系」道祖神。

Photo_4Photo_3

安中→旧倉渕村→東吾妻町→長野原町→六合村と1市二町二村で見た双体道祖神は、全部で17基。「あからさま性系」は、旧倉渕村・落合と六合村・荷付場の夫婦和合神を訪ねる。以前紹介した旧榛名町上室田股倉のキッス道祖神や安中市西上秋間の餅搗き道祖神と共にその世界では随分と知られた道祖神だ。

P6280668Photo_6

「秘めた性系」は徳利の口が何ともエロチックな安中・杉名の像を皮切りに、六合村小雨と引沼の二基、そして現代の作造品である次の二基(安中・杉名、六合村応徳温泉Photo_9)。 Photo_7

そして旧倉渕村・落合の夫婦和合神のある森には、こんな陰陽石もあった。Photo_8

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2009年5月16日 (土)

道祖神巡りで、車のオブジェ発見

12安中の道祖神巡りに朝から出かけた。今日は近場の古屋・高別当辺りを探したが一基がどうしても見つからない。出会えた双体道祖神は4基のみ。

11今日は諦めて、下秋間に移動し川久保・八重巻の二基を探し当てた。都合一日六基は、最小記録。途中から雨模様になり、なんか疲れた道祖神巡りとなった。

Photo_2 でもお庭に車のオブジェを発見。どんなお方が住んでるのだろうか?

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2009年5月 5日 (火)

僕の好きな温泉と道祖神

三日間、朝から晩まで出歩いていた疲れからか足腰が痛くなった。骨系が痛くなったら行くのは長野・松代の加賀井温泉。九時過ぎから出かける。松代に行く際に必ず寄るのは、「稲倉の棚田」。田植えの最中かと期待して行ったが、ちょっと早かったようだ。1 しからば寄るのは、真田町本原にある僕の好きな双体道祖神。像は25cm余りと小さいが、すがしい顔と仲むつまじいその姿が何とも言えない。

Photo_3こうして心を爽やかにして向かったのは、こちらも僕の好きな加賀井温泉。昨年来の入院・手術ということもあって半年振りだ。内湯・野天とも大部混んでいたが、Photo_4 内湯が一時二人きりになったのでチャンスとばかり写真を撮ろうとしたらその方も同様の行動で、二人して笑ってしまった。その後、温泉談義に花が咲く。帰る際に源泉をパチリ。

Photo_5帰りはいつもより出るのが早かったので、松代の東条竹原周辺で道すがら道祖神を探しながら運転していたら見つけたのがこれ。そのうちおばあさんが出てきて話してたらなんと90歳だという。いやー、若いの何のって・・・。私の方が腰が抜けそうだった。この連休の道祖神巡りで出会ったのは、喜寿・米寿そして今日の卒寿の方。なんか不思議な縁を感じる道祖神巡りである。

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2009年5月 4日 (月)

道祖神巡りと出会い

この連休は、ずっとできなかった安中の道祖神巡りに出かけた。5月の連休に農作業をせずに出歩くのは初めて。1時間以上も周囲をぐるぐる回りながらも結局見つけることができなかったものもあったが、各村で道行く人や畑仕事をしている方などに尋ねて、探し当てたその数は38基。安中にある双体道祖神の1/3あまりに会うことができた。

24_2最初に出かけた上磯部の新堀では、写真を撮っていたら今年喜寿だというOさんに話かけられ、お宅にまでおじゃまして色々教えて頂いた。

25_2 昨日は、野良仕事中のおじいさんに話しかけたら、なんとこの方は米寿の方だった。教えていただいた道祖神は、保存状態が大変良く、うつむき羞じらう女神が印象的な像であった。ひょっとしたら珍しい足踏み道祖神かも知れない。

Photo_3そして今日は、これまでに何度か訪ねながら見つけることができなかった「餅搗き道祖神」に出会うことができた。感激! 風雨に晒され結構摩耗が進んでいるが、餅搗きの様子がハッキリと分かる。この姿態は全国的にも極めて珍しいもの。

Photo_4 原の百庚申塚には、120基余りの庚申塔に混じってこんな珍しいものがあった。

Photo_2道の拡張工事により元の場所から移設されている道祖神が多いことに時代の移り変わりを感じ、出会った方々の親切で素朴なお人柄・道祖神のある部落の温かさ・人の繋がりなどを実感できた三日間であった。

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2009年3月19日 (木)

早朝散歩・道祖神・浅間山

11Photoずっと自宅療養で足腰が弱って来ている。眼の経過は順調なので今朝から早朝散歩を開始。かみさんから聞いた1時間コースを歩く。普段車で通らない道を歩いてみたら結構、石仏に出会う。 先ずは、歩き始めて数分の神社周辺で文字道祖神二基に会う。最初のものは造立が天明二年(1782年)とあった。Photo_321_2その先20m余りにあったもう一基の文字道祖神の造立年は分からず。塞の神とはいえ、こんなにも近くで見たのは初めてかも。

11_3更に300m余り進んだ三叉路に、もう一基文字道祖神があった。彫りが浅くこれもよく判読ができない。

Photo_7 磯部田んぼに降りてから丘の方を見たら何やら石仏が見える。川のずっと先の橋を渡って行ってみる。梵字の下の文字がなんと書いてあるのやら分からず残念。そうこうしてるうちに電車の音がしてきた。磯部駅から安中駅に向かう電車だ。 Photo_6浅間山を入れてパチリ。あと10日もすれば、この地から桜と浅間山が撮れそうだ。乞うご期待! 今朝は4254歩。2.127Km。時間は、48分であった。

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2009年2月19日 (木)

道すがら

Imgp6082今日も代休。石仏関係資料・地図とPCを持って六合(くに)村の応徳温泉に向かう。安中から六合村へのルート、特に406号線(草津街道)沿いには、結構双体道祖神がある。中でも好きなのが「関谷橋道祖神」。華の季節のこの道祖神もいいが、冬枯れの今も中々おつなもの。

Photo_6 車を走らせて六合村に入ったら、ヘリコプターの着陸ゾーン上空にヘリが見えた。車を止める場所がなかったので車中からパチリ。応徳温泉・やすらぎの湯で夕刻まで一仕事し、途中、牧野酒造で二酒を買って帰宅。1週間の疲れを取るべく、今宵も旨酒を頂く。幸福至極!

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2008年12月 6日 (土)

玉泉寺周辺の石仏

久しぶりの連休の初日。遅れていた車の1ヶ月点検を済ませた後、高崎から旧月夜野町(現みなかみ町)に向かう。源泉ドバドバの「三峰の湯」に小一時間浸かり、ここに来る度に一度寄ろうと思っていた「玉泉寺」を初めて訪ねた。

PhotoPhoto_2山門入口の右手には「不許葷酒~」の石塔。どうやら曹洞宗のお寺のようだ。ふと左を見ると見慣れぬ「禁藝術賣買」いう石塔がある。はて? この結界石(戒壇石)には、どんな意味があるのだろうか? Photo_3 帰宅後、『日本石仏事典』を見ても分からずネット検索したら、

あるブログに「旅芸人や行商人が寺内に入るのを禁ずるために建てられた碑である。利根・沼田の山間地のみに残っているといわれる石碑のうちの一基である」とあった。

Photo_4この山門入口の手前右手にはいくつか墓地があるが、その中に酒器持ち系の双体道祖神があった。徳利と盃を持った二神が互いに45度向き合う彫りの深い珍しい像容である。やや痛んでいて、細部は不明だが、なかなか素敵な双体道祖神である。

Photo_5 更に下って後閑駅近く古馬牧小そばの路傍には、二十三夜塔や馬頭観音に混じって二体の双体道祖神が佇んでいた。一体は頭部はじめ大部欠けているが間違いなく双体道祖神だ。その右手の道祖神は、肩組み手繋ぎ系。一ヶ月半振りの温泉と石仏で、リフレッシュ出来た一日であった。

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2008年11月 2日 (日)

野田市谷津の庚申塔

PhotoPhoto_2東武線七光台駅から北東の谷津田の中にかつて江戸川に繋がっていた旧道がある、と聞いていたが行ったことがなかった。夏は雑草が鬱蒼としていてとても歩けないが、秋枯れで道らしきものが見える。午前中で一仕事終えて、歩いてみたら正面に石仏が見えてきた。

Photo_4Photo_3右は、元禄六年(1683年)、左は文久二年(1862年)の庚申塔。右のそれには、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が彫ってあるが、左の庚申塔の台石には珍しい三猿が彫られている。

左の一猿は「言わず」とも「聞かざる」とも見えるが、右の二猿の姿態はよくわからない。Photo_6目や耳を被っているいるようにも見えるが、二猿が向き合ってまぐわっているようにも見える。面白い三猿を見て、感激!!

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2008年11月 1日 (土)

超多忙な11月が始まった

例年なら会津でのキノコ狩りや安中の農業祭りなど楽しいこと目白押しの11月だが、今年はそうはいかない。休めるのは3日と24日の2日だけ。土日全て仕事だ。ああ、秋作の作業が全く出来ない。

PhotoPhoto_216今日も朝から松戸への出張。武蔵野線の東松戸周辺で仕事を済ませ、帰りしな石仏を求めて散策して見つけた「日蓮宗 妙見山 廣龍寺」。門前にはかなり古い石碑があった。延宝八(1680)年と元禄十六(1703)年の庚申塔だ。どちらもかなり彫りの深い三猿が描かれている。5 これらの左手には、帝釈天を主尊庚申塔としては千葉県最古とされる嘉永五(1852)年のものも。しばし、これらの石仏を眺め、疲れた心と体を癒す。

明日は、早朝から会社への出勤。こんなことも4年ぶりのこと。とりあえず、23日までの3週間あまり、やるっきゃない!

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2008年10月23日 (木)

六合村の双体道祖神―1-

Photo_8原稿書きでいつもの六合村・応徳温泉に向かう。平日で通行量も少なく、道路の左右を見るゆとりもあり、道祖神の案内が目に飛び込む。

Photo_10 津南秋山長野原線で最初に見たのは、「平沢道祖神」。山道を150m余り遡り、墓地を過ぎた左手山の斜面に佇んでいた。嘉永四年(1851)とある肩組み手繋ぎ系だが、首から上が大部摩耗していて残念。

Photo_11Photo_12次いで「太子道祖神」。ちょっと苦労して探し当てた。旧草津街道斜面にあり、かなり風化している。合掌系の並立像か。

Photo_13R292を更に進むと「小雨道祖神」が見えてきた。ココには、二体あり、手前が肩組み酒器持ち系で足踏みの道祖神、その後ろにあるのは、顔面がなくなっているが合掌系の並立像。作造は明和二年(1765とある。周りに各種の花が添えられ、大切に守られているのがわかる。

Photo_15今日の最後は、沼尾道祖神。国道から右に150m余り入ったT字路にあった。岩をくり抜いた所に鎮座している舟後光型の合掌像。作造年は、不明。

Photo_16こんなことをしていたら応徳温泉にたどり着いたのは昼過ぎ。雨模様で農作業が出来ないからか結構混んでいた。夕方にはなんとか一本、原稿を仕上げ、ご帰還となった。

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2008年10月11日 (土)

安中の双体道祖神を巡る

Photo安中にある双体道祖神をまとめたものがないと知り、悉皆調査をすることにした。今日は先ず、碓氷川周辺の磯部神社からスタート。 肩組み手握り系の一体はすぐ見つけたが、もう一体がなかなかわからない。Photo_2 ふと、端に追いやられた祠群を見ていたら、なにやら道祖神らしきもの発見。大部欠けているが間違いなく双体道祖神である。ほとんど無碍に捨てられている感じであった。

Photo_3Photo_4ついで曹洞宗の松岸寺。道路から入る鳥居の下には文字道祖神があり、山門には例のいつもの門柱。山門の左右には各年代の庚申塔に混じって道祖神が一基あった。Photo_5かなり小さい肩組み手握り系のかわいらしい双体道祖神であった。墓地で古い墓石を眺めた後、県下最古の五輪塔を見る。

Photo_6その後、霧積温泉へ向かう。道すがら以前、松井田・坂本宿を訪ねたときに見た八幡神社の二体の道祖神を見に寄る。結構彫りが深く、二神の着衣の接合部がなかなか意味深な双体道祖神である。

Photo_7 そして、ちょっと道路を隔てた左前方に墓石群を発見。吸い寄せられるように訪ねてみたのは、青松寺。入ってやや進んで左を見て驚いた。なんと、キリシタン墓ではないか。建立年は不明だが、安中で二基目。いやー、不思議な縁(?)である。

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2008年10月 4日 (土)

念願の「勝沼ぶどう祭り」

恋い焦がれた「勝沼ぶどう祭り」にやっと行くことが出来た。この10年、ずっと仕事の関係で行けなかったが、初めて仕事から解放され、「鉄道の日」記念切符を購って出かけた。かみさんは仕事で行けないので、東京にいる長女を誘ったが、先約があるとのことで結局一人旅。

Photo勝沼ぶどう郷駅から100円のシャトルバスで会場近くの駐車場まで行く。中央公園に向かって歩いていたら不思議な道祖神発見。この四つの球体は何を表しているのだろうか? 作造年はよく読み取れなかったが、寛政年間のようだ。

Photo_2Photo_3Photo_4会場では、無料でワインの試飲が出来き、ブドウが貰える。更に500円でグラスを買うと、協賛する23ワイナリーの各種ワインの試飲が出来る。来場者の中には、グラスを二つ抱えて試飲している方もいた。私は、端から順番に全てのワイナリーを回って白中心に試飲。気に入った二本をかみさんの土産に購入。(何を買ったかは、後日のお楽しみ)

Photo_6Photo_5その後、勝沼に来たらいつも立ち寄る若尾秀農園に電話して迎えに来て貰い、売店で各種ブドウを頂きながら一休み。Photo_7 女将さんと談笑後、駅への近道を教えていただいてブドウ畑の中を駅まで歩く。いつもは車だったので、新たな勝沼を発見。期待以上の

楽しい一日であった。

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2008年9月23日 (火)

彼岸の中日に

PhotoPhoto_2 今日は珍しく一日中、畑仕事。昼食前に駅前駐車場の地主さん宅に駐車料金を支払いに行った後、帰りしな安中・大竹の文字道祖神を撮りによる。作造年はわからないが、彫りが深く、それなりに味わい深い字体であった。

0923 一仕事終えた夕方、自宅玄関前からは、こんな情景が・・・。

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2008年9月21日 (日)

松井田・国衙の道祖神

371ある双体道祖神と文字道祖神を求めて、安中市の松井田・国衙周辺に向かう。右往左往することなく見つける事が出来たが、思っていたより小さい。しかも隣に庚申塔があるとは思いも寄らなかった。37この双体道祖神は、合掌系でもなければ肩組み手握り系でも酒器持ち系でもない。ちょっと変わり種の道祖神だ。男神が女神の手を引いて誘っているが、女神は清楚で目を伏せて羞じらっている。そんな情景が伝わってくる。

Photo_5次に探したのは、文字道祖神。図版で見たその形式と字体が、数日前に見た安中・大竹の庚申塔と類似しているので、ひょっとして石工が同じではないかと興味津々で探した。ぐるぐる周りを何度も探すが見つからず、歩いていた人に聞けども一向にらちがあかない。Photo_3周囲を何度もぐるぐる回っていて見つけたのは、これまた珍しい「馬頭観音の道しるべ」。石の形も良いが、その佇まいに地主さんが大切に守っている思いが伝わってくるなんとも温かい馬頭観音であった。30分余り探し回ってやっとのこと見つけたら、なんと探していたもう一つの双体道祖神と並んで建っていた。

38双体道祖神は左の女神の顔が欠けていてはっきりはわからないが、向き合って今まさにキスをしようとしている像である。38_2以前紹介した旧榛名町・中室田のキッス道祖神に次ぐ二例目である。作られた時期は不明。Photo_4110隣の文字道祖神の作造年は、宝暦四年とあった。安中・池田の庚申塔は宝暦五年なので、同一人物の作造の可能性は十分ある。

39その後、国衙・朝日の双体道祖神を探す。長久保郷原線沿いのこの道祖神は、「肩組み腕組み」ではなく「腕つかみ」であった。114 この道路をやや戻った反対側の下増田の文字道祖神は、「道陸神」と刻印されている。これは、「どうろくじん」と読む。初見の「道陸神」像であった。

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2008年9月 6日 (土)

珍しい安中と長野原の双体道祖神

Imgp3522Photo_4先週調べた文献(鈴木繁『道祖神考』上毛古文化協会)の実地調査に出かけた。先ずは、安中・秋間。お目当ての道祖神に会う前に面白そうな寺があったので寄る。曹洞宗の全性寺。日本で唯一の「悟留譜(ゴルフ)観音菩薩」があり、「タコ」脱出祈願などのゴルフボールが奉納されていた。

Photo_5秋間の村社・飽馬神社へは車で行けるが、手前に車の通れない近道があってその入り口付近にちょっと変わった双体道祖神がある。肩組み手握り系かと思いきや、よく見ると男神の右手はなぜか女神の腕をつかんでいる。女神は目を閉じ、幸せに浸っている感じの不思議な道祖神だ。右側面には作造年が刻まれていたが、よく判読できず。Photo_10Photo_15 「宝暦拾○○」とあったので、

1760年代の作。全体的に彫りも深く、保存状態も良かった。境内脇にも合掌系の道祖神があったが、こちらはかなり傷んでいた。

Photo_7Photo_8 県道122号から草津街道を走り、大戸の関所跡を右折して県道58号へ。吾妻川右岸の百庚申塚を見ようと左折したが結局見つからず、長野街道に出て度々寄る「もみじ茶屋」で遅い昼食。そばが盛られているのは、台湾産の竹。天ぷらは、ミョウガとしその実。

Photo_12川原湯温泉の共同浴場・笹湯で小一時間浸かって帰宅の途へ。温泉街を抜けて長野街道に向かう長い下り坂の途中にあるのが、上湯原の道祖神。雨模様で林の中、デジカメのフラッシュも壊れているのでしっかり撮れなかったが、男神の右手に注目。中々濃艶な双体道祖神である。

Photo_13

その後、長野街道を左折して草津街道へ。峠越えで帰宅する何度も通っている道なのに、脇道に道祖神があるとの案内標を初めて見て、車を止めて行ってみた。この双体道祖神は、ちょっと面白い。手握り系なのだが、肩を組まずになんと両手握りである。がっちりと堅い絆で結ばれたお二人なのだろう!

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2008年8月30日 (土)

松井田にて

Photo今日も雨模様だが、珍しく温泉ではなく松井田の図書館へ。道すがら文字道祖神を見つけ、パチリ。結構大きい。右に小さな道祖神があるが、ともに作造年はわからず。安中でこんな大きな文字道祖神を見たのは初めてだ。

Photo_2Photo_3Photo_5その後、八幡宮の庚申塔や二十三夜塔を撮った後、補陀寺に向かう。Photo_4曹洞宗の由緒あるお寺のようで、山門にはれいの石碑あり。

Photo_7Photo_8 墓地を散策していて珍しいもの二つ発見。なんと、寺院内に双体道祖神や馬頭観音碑があった。後者の建立は、寛政元年とあったから1789年。フランス革命の年である。碑の下には、いつ・誰が・置いたのやら、蹄鉄が。

松井田の図書館では、郷土資料室を独り占めして、閉館まで資料を渉猟。満足の一日であった。

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2008年8月24日 (日)

今日の関谷橋道祖神

今日も雨。中々畑仕事が出来ない。「晴耕雨浸」というわけで、原稿を1本仕上げるべく、いつもの六合村・「応徳温泉」に向かう。六合村へのルートは二つあって、一つは川原湯温泉経由の国道145号線。もう一つは、峠越えの406号線。この道を使えば、お気に入りの関谷橋道祖神に会える。

0825もちろん、後者のルートで行く。一ヶ月前も雨だったが、さて今日はどんな濡れ具合かと余り期待せずに寄ったら、なんと花が咲いていた。実がつき始めているものもあり、ちょっと前が盛りだった様子。道祖神とお花の新たなテーマを頂いた。感謝!

6月の躑躅とのショットは、次の記事を参照>

http://salty-sugar.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_79c4.html

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2008年8月23日 (土)

野沢温泉で出会った石仏・花など

PhotoPhoto_2 安中は朝から雨。ちょっと肌寒い。ガツーンと熱い湯に浸かりたいのと百体観音が見たくなって、長野・野沢温泉に出かけた。軽井沢から菅平を抜けて小布施へ。当地は晴れていた。ここで昼食をとり、ちょっと散策した後、野沢温泉へ。着いたのは、14:00過ぎ。

Photo_3今年1月、「青はる」で来たときは雪で、温泉以外楽しめなかった。今回は温泉を後回しにして、神社・仏閣や野仏から。撮った写真は200枚余り。Photo_4 先ずは、町に入る手前から見える棚田と温泉街の風景。次いで、湯沢神社と健命寺薬師堂の間にある「野沢菜発祥地碑」。

Photo_5神社北西の千仏堂のそばに屋根付きで、手前が布で覆われている小屋風のものあり。Photo_6何だろう?と布を開けてビックリ。奥の石碑はわからなかったが、なんと立派な金精様。陰陽合い二つ。すばらしい!!

Photo_7Photo_8その後、麻釜(おがま)を経由して百体観音に向かう。共同浴場・真湯の道を北上し、金毘羅神社に寄り道をしてから石仏群に向かおうとしたらキリシタン墓を発見。Photo_33Photo_34 この墓碑の右には、「明治三十三年二月四日生 昭和四年十一月二十四日昇天」、裏面には「我ハ復生ナリ生命ナリ」とあった。周囲にあるS家のあまたの墓碑の中、この墓碑だけは、形状といい雰囲気といい、全く趣を異にしていた。

Photo_11Photo_12Photo_13Photo_14 Photo_16Photo_18

いよいよ、百体観音にご対面。百番観音霊場からまず西国三十三カ所、次いで板東三十三カ所、そして秩父三十四カ所に代わる観音様を巡る。山の中腹から段々上っていく。西国三十三カ所ぐらいまでは多くの観光客が登るからか、良く整備され何番の寺かの標識がしっかり整備されていたが、Photo_211Photo_22坂東以降は登る人も少ないのか整備が不十分で周りは草だらけ、標識も消えているのが大半だった。標高が上がるにつれて秩父道辺りから高山植物がちらほら見られるようになる。

Photo_28 つつじ山公園の観音堂に着く前に下山し、共同浴場へ。温泉街の最北にある「滝の湯」を目指す。Photo_31先客は3人。二人は地元の方、もう一人は名古屋の方だった。水道出しっぱなしで、ぬるいので早々に上がる。

Photo_30Photo_29「麻釜の湯」や「熊の手洗湯」に行けども満員状態。夕方だったので時間が良くなかった。 結局、共同浴場で一番大きい「中尾の湯」に浸かり、帰宅の途に。温泉街を出たのは18:40過ぎ。Photo_32 国道117号線を北上し、津南から石打に抜けて関越自動車道を使って帰還したのは21:30過ぎ。300km越えの小(?)旅行であった。

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2008年8月19日 (火)

Summer Vacation has gone !

今日で六日間の夏季休暇が終わった。この七年間、夏はずっとどこぞやの温泉で湯治をしていたが、今夏はどこにも出かけず自宅にいた。浅間山への登山計画も、噴火活動の兆候が出てやむなく断念。娘達の帰省・相棒の結婚など諸環境の変化による。昨日はリーが福岡に、今日はチーが小平に戻った。また、かみさんとの二人生活である。そんなこともあって、昨日までは日帰りで「群馬の戦跡巡り」をしていた次第。

PhotoPhoto_2Photo_3Photo_4Photo_5Photo_615日の「群馬の森」では、岩鼻火薬製造所跡を探る前に「歴史博物館」に入って特別展・「オバケが出たゾー!」や常設展示を見た。月岡芳年の描いた妖怪よりもカッパに興味を持ち、常設展では廃線の「草軽鉄道」や戦時下の展示が良かった。360Photo_8Photo_9そして、最後にあった「スバル360」。戦後のモータリぜーションのはしりとなったものだが、発売が昭和3333日だったことや実物の小ささに驚く。

Photo_10 16日は昼過ぎまで畑仕事。管理を全くしていない隣地からの蔓性のやっかいな代物や篠竹を草刈り機で処理。猛暑で頭はフラフラ。なぜかこの日撮った写真は、この1枚のみ。ゴーヤのこんな食べ方もおつなものかも? 午後は、書斎にこもって、PCで画像処理と編集。

Dvd 17日。前日の午後に引き続き、終日書斎にこもりきり。今月初めの「巻機山奉納登山」の記念DVDの編集作業に明け暮れる。失敗を繰り返し、なかなか進まず。やっと、18日の朝方に完成。昼過ぎにリーを安中駅に送ってから富岡に行き、陸軍中野学校終焉の地巡り。

Photo_11そして今日19日。昼過ぎにチーを見送ってから、松井田の石仏巡り。渋川松井田線に点在する石仏を辿る。土塩の肩組み手繋ぎ系の双体道祖神は、なかなかさわやかであった。

これが、私の今年の夏休み。湯治とは違った新しい楽しみもあり、それなりに充実していた。明日からまた仕事に勤しむこととしよう!

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2008年8月 4日 (月)

関山の双体道祖神

二連泊させて貰った高千代酒造さんの二階で目覚めた今日は、朝から雨だった。一日ずれてくれて、ありがたや。昨日だったら、登山中止だったに違いない。朝食を頂いた後、礼を言って帰宅の途に。

Photo_30 今日は休暇を取って、塩沢周辺の石仏巡りをする予定だ。蔵元から清水街道を北上したら田んぼにあまたマネキンが見える。20体以上はあろうか?「鳥追効果実験中」と看板にあった。夕方見たら、さぞ薄気味悪いだろうな?! 雨が降りしきる中、車から降りてパチリ。

その後、南魚沼市の塩沢庁舎に行く。石仏のことならと公民館を紹介されて訪ねる。図書館で郷土関係書をあたり、塩沢周辺には七体の道祖神があることを知る。が、係の方も石仏のことはよくわからず六日町駅にある観光協会を教えていただいたので訪ねるも庚申塔や地蔵さんなどの案内はあったが、ここでも道祖神については、わからずじまい。

Photo_31結局、郷土史にあった七体の道祖神の内、関山の双体道祖神を訪ねることにした。「幣束を相合傘にさした祝言像」「股間をうかがっている性神」とあったので、期待はふくらむ。上越線石打駅の南を横切る国道353号線を西進してまもなく、橋の手前の右側になにやら石仏らしきものが。車を止め、近づいてみたら確かに双体道祖神がある。「新潟県下最古」の道祖神・関山の双体道祖神であった。「安永五年」とあるから1776年、10代将軍・家治、大老・田沼意次の時代の作造だ。

Photo_34確かに徳利と杯を持った祝言系の像だ。が、もう一方の手が互いに下の方に伸びてはいるが、「股間をうかがっている」ようには見えず、手握系のように思える。光線の関係で良くは見えないので、好天時の再訪を期して湯沢から三国峠に向けて車を走らせ、みなかみでいつもの「三峰の湯」に浸かって帰宅した。充実・感謝の二泊三日であった。

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2008年7月21日 (月)

松代の面白石碑

Imgp2447古傷の膝の関節痛がひどいので、長野・松代の加賀井温泉に行く。Photo 途中の上田で、文月の「稲倉の棚田」の様子を見に寄る。畦が除草され、稲の緑が一段と生えていた。

Dsc01405加賀井温泉・一陽館は珍しく空いていて露天には夫婦二組がいたが、内湯に客はいなかったので携帯でパチリ。2時間余り露天と内湯に浸かり、後は石仏巡り。

Photo_2松代の東条瀬関で初めて目にしたのは、「保食神」。双体道祖神・水神とともにあったこの「保食神」って何なのだろう?  文政七甲申と刻印されてあったから建立は、1824年。Photo_12 帰宅後に調べたら、「うけもちのかみ」と読み、日本書紀に出てくる食物の起源神のようだ。左にあった双体道祖神は、手繋ぎ系。

Photo_6狭い村の道をゆっくり進むと庚申塔や百万遍供養塔のほか「蠶養神」なる蚕の神様が随所に祀られていた。Photo_7Photo_8 この辺一帯もかつては養蚕が盛んだったのだろう。その内の一体は、天保十二辛丑年二月吉日の刻印があったので、1841年の建立。

Photo_9本日の面白発見は、牧内にあった昭和141128日建立の「古今姑慰霊之碑」だ。碑文の左右には、「今の花嫁も後には姑と成るものぞかし」「昨日は人の上今日は我が身の上なり」「明徳康準識」とある。Photo_10碑の裏には、寄付者60人余の男の名前がズラリ。集落の入口にあって、夫婦円満で嫁姑の諍いもない仲睦まじい村を宣言しているかのようだ。戦前に、どんな経緯で建てられたか興味津々である。

Photo_11 ちょっと、幸せな気分になって家路についた。

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2008年7月12日 (土)

「キッス道祖神」経由「相間川温泉」

久しぶりに朝から快晴。畑に行き、草取りに勤しむ。この時期の草の成長ぶりと言ったらそれはすごい。4年前の5月に靱帯を切断し、1ヶ月余り畑仕事が出来なかったことがあった。その時の雑草の種に今でも悩まされている。13:00過ぎまでやって昼食。まだ、風呂のリフォームが終わっていないのでシャワーも浴びれない。

Photo昼食後、旧倉渕村(現高崎市)の相間川温泉に向かい、道すがら双体道祖神を撮る。先ずは下秋間で二体。酒器持ち系のそれは、二十二夜供養塔の脇にあり、頬を寄せ合った珍しいもの。天保年間の刻印はあるが年代は判読できず。Photo_2ここからちょっと上ったところに、庚申供養塔と巳待供養塔とともにあったのは、肩組み手繋ぎ系の道祖神。こちらもいまいち表情がわからず残念。

Photo_4Photo_5 そして今日のお目当ては、旧榛名町(現高崎市)中室田又倉にある「キッス道祖神」。二月以来の再訪。 この道祖神は、先に紹介した沢渡神社の道祖神の如く盗難防止と保存のために屋根が掛けられ鉄柵で囲まれている。Photo_16 全国的にも珍しい姿態だからなのだろう。作は、約150年前の宝暦7年(1756年)とある。前回同様、夕方の訪問のため西日で逆光となり、白っぽくなってしまった。

Photo_7Photo_8Photo_9 相間川温泉は、とても空いていた。天気が良く、農作業日和だったからだろうか? ここの湯は、含鉄のナトリウム・カルシウム硫酸塩泉だが、露点は源泉そのまま、内湯は石と砂で濾過しているので色が違う。Photo_11Photo_10遠出できないときによく浸かりに来るお気に入りの湯である。小一時間まったりし、これまたお気に入りの安中榛名駅近くの「天空の丘」に寄って帰宅。

それなりに充実した一日であった。

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2008年7月 6日 (日)

安中でキリシタン墓発見

Photo_157:00から一時間、村の草刈り。児童公園に集まって、周囲の草刈りを月一で行っている。今日は凄く蒸して、終わる頃には、作業着は水浸し状態。帰宅してそのまま、自宅周りの草刈りやら庭木の剪定、畑仕事などで午前中が終わる。Photo_16シャワーを浴びて、昼食は次姉が送ってきてくれた「盛岡冷麺」を、収穫したキュウリやプチトマトをあえていただく。

Photo_17午後は、石仏巡り。嬬恋村の双体道祖神に出会うべく車を走らせたが、以前から気になっていた曹洞宗の「久昌寺」に寄る。なんと、ここで面白発見。

Photo_18Photo_19「基督を信ずる者は、死ぬるども活く」の門柱?とその奥の自然石には十字が描かれていた。更に左奥の別区画には、「十字架」が・・・。Photo_20Photo_21 いずれも「H家」の墓だが、同じ姓の別のお墓には、こんなものも・・・。門柱は明治30年の作造と書いてあるが、他のものはいつの時代のものか判明せず。

また、同じ姓の別のお墓では、こんな十字を切ったものを発見。果たして、安中の「隠れキリシタン」墓か? じっくりと後日せめて見よう!!

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2008年7月 5日 (土)

朝日町一号公園の庚申塔

毎日飲んでいる黒ホッピーがなくなり、前橋市の新井酒店に買い出しに行く。ちょっと前までは群馬県唯一の販売店だったが、いつからか高崎でも販売する店ができた。が、業務用のホッピーを売ってくれるのは多分、ここだけだろう。いつも通り30本入り1ケースを買う。

PhotoPhoto_2 その後、近くの「朝日町一号公園」に行った。ここには、庚申信仰に関わる石仏がある。庚申文字塔二基・二猿二鳥刻像塔一基・猿田彦文字塔二基・道祖神文字碑一基である。二猿二鳥刻像の庚申塔は猿が上、鳥が下に描かれているが、この位置関係を見たのは初めて。Photo_3 通常は逆だ。その左右の道祖神と庚申塔は、共に「寛政十二年庚申年四月吉祥日」とあった。208年前の1800年である。道祖神文字碑は、中々味のある字体である。

Photo_4猿田彦は、記紀にある国津神で天孫を道案内した神だが、いつしか猿にちなんで庚申の神になった。向かって左にあった「猿田彦太神」の碑は、「安政七庚申年春三月吉日」と刻印されていた。1860年である。その右の「猿田彦神」の裏には作像年は判読できなかったが、「家内安全施主敬白」とあった。この地で暮らした人々の息吹と思いが、伝わってくる。

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2008年6月29日 (日)

中之条町の道祖神(1)

天気予報通り、昨夜から雨。「晴耕雨浸」の私は8:00前に、7/4(金)のプレゼンに向けたレポート作成の為に六合村に向かう。ゆったりと浸かりながら仕事も出来る応徳温泉は、私にとって欠かせない。

PhotoPhoto_2が、今日はさすがに混んでいた。レポート一つを昼過ぎに片付け、一眠りした後の二つめのレポートは諦め、帰ることにした。ところが、観光物産センター前の駐車場で、ある双体道祖神を発見。 男神の手は女神の胸元へ、女神のそれは男神の股ぐらに向かっている。My_car_2 像をやや下から覗くとなんか悦楽のように見える。うーん、すばらしい! 建造は、昭和581月吉日と目新しい。(昨日、納車のヴィッツと撮る)

Photo_18かつて、本で見た道祖神を無性に見たくなった。というわけで、六合村から日本ロマンチック街道を走って沢渡に向かう。Photo_4 途中の生須では、4m余りのこれまた珍しく細長い庚申供養塔(文化年間=ほぼ200年前)があり、句碑群と共に整備されていた。

Photo_5 さて、最初に訪れたのは大岩。村の方に教えて貰い、行ってみた。Photo_6上沢渡川沿いに安永8年(1779)の肩組み・酒器持ち系の抱擁像はあった。 足場が悪く、十分な観察が出来ない。本線に戻った大岩不動入口にも享保9年(1724)双体道祖神があるが、摩耗が激しい。

Photo_7Photo_8 沢渡温泉共同浴場に浸かった後、温泉神社に向かう。ここの像は盗難防止のためか屋根付きで施錠されている。男神ははだけた女神の胸にさりげなく手をやり、伏し目がち。女神は手に何やら持ち、やや男神側に首をかしげてこれまた伏し目がちだ。

Photo_9Photo_10次いで、湯畑。Photo_11道路沿いのそれは寛保3年(1743)作で、かなり彫りが深い。 肩組み・酒器持ち系で男神が足を絡めているように見える。そして、以前紹介した菅田の道祖神。胸のはだけた女神の手に男神が手を添えている。

Photo_13 今日一番見たかったのが、大竹の庚申橋にある道祖神。延享4年(1747)丁卯11月吉日と刻印されたこの双体道祖神は、男神の手は女神の胸元へ、女神のそれは男神の股ぐらに向かっている。あの応徳温泉そばの道祖神は、明らかにこれを模したものと思う。

Photo_14Photo_15 この庚申橋の石仏群は凄い。埋もれているものがかなりあり、何体あるのか知らないが、変わったところでは「百八拾八番」、「大青面金剛」の二つの塔である。「百番塔」や「青面金剛」は見たことあるが・・・。

Photo_16Photo_17 そして、今日の最後は大竹の上(かみ)にあった二つの双体道祖神。右は酒器持ちと思われる二神の並立型。左のそれは、男神がしっかりと女神を抱擁している。(この二本の竹は、何なのだろう?)

雨の中を4時間余り、夫婦和合の双体道祖神を求めて中之条町を散策し、帰宅したのは19:30。今日も充実した楽しい一日であった。

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2008年6月22日 (日)

東吾妻町の関谷橋道祖神

Photo_12すがすがしく、心が洗われる思いのする双体道祖神がある。浅間隠温泉郷の3キロ程手前にある関谷橋道祖神だ。初見は今年の2月。雪が積もっている時期だった。何度も通っている道なのに全く気づかなかったのは、温川に架かる温川橋の手前を右に入った旧道沿いの関谷橋付近にあったから。

草津方面への道すがら、今日はどんな姿を見せてくれるか立ち寄って感激。冬にはわからなかったが、なんと道祖神のたもとで躑躅が満開であった。Photo_15その美しさにしばし佇む。この道祖神を守っている土地の人の温かな思いが伝わってきた。酒器を持った女神の視線はやや右を向きなにやらはにかんでいる様子。その脇に佇む盃を持った男神はしっかりと正面を見据えたすがすがしい顔立ちである。つつじの淡いピンクが、この仲睦ましい双体道祖神に実にマッチしている。土地の方のセンスに脱帽。素敵な道祖神を見せて貰いました。アリガトウございました!!

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2008年5月10日 (土)

久しぶりの沢渡温泉共同浴場

小雨で農作業も出来ないので、久しぶりに温泉に出かけた。カルシウムの甘い香りで、心が癒される大好きな沢渡温泉の共同浴場である。

Photo途中、稲田食堂に寄る。いつもは、“稗飯”を頼むが、なぜか今日は“すいとん“が食べたくなって「すいとん定食」。うん十年前にタイムスリップした感じ。

Photo_2 何ヶ月ぶりだろうか? 沢渡温泉共同浴場に多少の変化が・・。まず、二つある浴槽の内、奥の舟に手すりが付きバリアフリーに。そして、浴室入り口右手のイスや桶置き場も新しくなっていたが、湯は相変わらず熱く、良い香り。お客さんは5・6人だが、手前の上がり湯は47℃近いから入れる人は稀。独占して幸せを感じた小一時間であった。

Photo_3Photo_4その後、近くにあった双体道祖神を撮る。肩組み手つなぎ系で、天保12年(1841年)の刻印。保存状態も良く、男神・女神ともにさわやかな笑顔の双体道祖神であった。

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2008年5月 3日 (土)

「葷酒」って、どんなお酒?

Imgp1414沼田市・川場村に向けて車を走らせていたら、箕郷町のT字路で夥しい石仏発見。龍門寺の参道に観音像が40体余りズラリ。Photo が、私の関心を引いたのは、山門右手の「葷酒」と刻まれた石碑。これって、何なんだろう? 

Photo_2帰宅したら調べようと思いながら向かったのは、沼田市の舒林寺。ここは真田藩の菩提寺で、信守の墓地の一隅に十字を刻んだ石堂がある、というので見に行った次第。ところが、どっこい。山門の石碑を見て、ビックリ。なんと、ここにも「葷酒」があるではないか。庚申塔の隣に「不許葷酒入門」と刻まれた石碑。あれっ、ひょっとして・・・と思ったら案の定。どちらも曹洞宗の寺院だった。

Photo_3 確信を持ったのは、その後にこれを見てから。沼田市・孝養寺山門のご覧の石碑。こちらは、「不許葷酒入門」と刻まれていたが、ここも曹洞宗の寺院だった。

帰宅後に調べてわかったこと。

①現在、曹洞宗は日本最大の寺院数を誇り、修行の基本は坐禅。開祖は、道元。永平寺が代表的寺院。

葷酒」「不許葷酒入門」「不許葷酒入門」。これらは、「葷酒山門に入るを禁ず(不許可)」ということらしい。「葷」(くん)とは、ニンニク・ネギ・ニラ・ラッキョウ・ノビルなど臭いが強くくさい野菜のことをいい、精力がつき過ぎて人間の心を乱すところから、修行の妨げになると考えられ、酒と共に禁止されたようです。

禅寺にお酒やアクの強いものは厳禁のようだが、我はどちらも大大ダーイ好き。飲酒禁止のイスラム教徒になる気はさらさらないが、どうやら禅寺からも嫌われたようだ!

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2008年4月 6日 (日)

月待信仰と隠れキリシタン

PhotoPhoto_3 昨日、訪ねたもう一つの寺・観音寺と「隠れキリシタン」との関係を田中澄江『群馬の隠れキリシタン』(上毛文庫)では、「二十二夜塔」の存在を持って証明していたが、これには大部無理があると思う。

Photo_4今日の朝日新聞・日曜版は、鏡と「隠れキリシタン」の特集を組んでいた。私が初めて「隠れキリシタン」関連の物を見たのは5年前。あの世界遺産・石見銀山にほど近い温泉津(ゆのつ)の民俗資料館で出会った「キリシタン壺」。Photo_6 壺の中に明らかに十字が切ってあった。その後、「ひょっとして・・・」と思ったのは、今年二月に長野・真田町の「二十三夜塔」を見たとき。

Photo_7石仏巡りをしていると色々な石仏・石碑・石塔・板碑に遇う。「二十三夜塔」の初見は、群馬・猿ヶ京。その後、安中で二十二夜塔を発見し、月待ち信仰が十三夜、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜などの色々あると知る。Photo_9特定の月齢の夜、人々が集まり月の出るのを待って供物を供え、飲食を共にしたあと経などを唱えて悪霊を追い払うというこの宗教行事は、江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行したようだ。特に普及したのは二十三夜に集まる二十三夜行事で、その人々が建てた二十三夜塔は全国の路傍に広くみられる。しかも、女人講だという。マリアとの関連、いかに?

先の田中澄江氏は、「八月二十二日は、聖母マリアのお祝いの日である」として、「二十二」と刻まれた石をマリアと見立てて拝んだのでは・・・と書いていたが、果たしてどうか? 二ヶ月前、長野・真田町で「十十三」という不思議な表記を見て、「まさか?」と思ったわけだが、その表記は奇しくもかの観音寺のそれと似ていた。しかも、真田家とクリスチャンとの関係もただならぬらしいことをこの本で知る。群馬・沼田の城主も真田家の出で、この地には隠れキリシタンが多いとも書いてあった。

Photo_10Photo_11安中・秋間と八城、猿ヶ京の「月待ち塔」の「二十」の表記と、高崎・観音寺と長野・真田町の岡保にある「二十」の表記は、明らかに異なる。前三つの制作年代はわからないが、後者のそれはそれぞれ安政九年(1797)と安永四年(1775)だった。表記の違いは、時代による違いなのだろうか、それともやはり「隠れキリシタン」なのか?

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2008年4月 5日 (土)

群馬の隠れキリシタン

Photo_13昨夜から今日にかけて、田中澄江『群馬の隠れキリシタン』(上毛文庫)を読んだ。ザビエルの来航からキリシタン大名の受洗・迫害・殉教・隠れキリシタンの姿など、「そうなんだ」と了解することや腑に落ちないことなど色々あり。「隠れキリシタンが一番多いのは群馬」だという。へー!!

近代における群馬輩出のクリスチャン(これは英語表現、「キリシタン」はポルトガル語表現)と言えば、内村鑑三・新島襄だが、後者の妻はキリシタン大名・蒲生氏郷の会津出身だと初めて知った。同志社大学創設者・新島襄の出身地・安中と会津がここで繋がった。

Photo_14快晴の今日、農作業するはずが居ても立ってもいられず、自分で検証すべく高崎の二つの寺を訪ねた。いずれも真言宗の寺。著者に寄れば、空海は唐でネストリウス派の景教に触れて影響を受けているのでは、という仮説。だから、真言宗の寺は隠れキリシタンに鷹揚だった、というような論の展開である。

Photo_2Photo_3Photo_16最初に訪ねた観音寺については、後日触れたい。今日は、慈眼寺について。しだれ桜で有名だというので出かけたが、既に大半が葉桜状態。1週間遅かった。残念! とはいえ、お客は絶えない盛況ぶり。が、お墓を見て回っているのは我ばかり。Photo_8Photo_7Photo_15お目当ての隠れキリシタン墓に向かう前に夥しい庚申塔のあるところ発見した。ざっと数えて100以上もある。こんな小さいものがまとまってあるのを見たのは初めてだ。中には馬頭観音や二十三夜塔、こんな不思議な石仏も混じっていた。

Photo_10Photo_11キリシタン墓は、墓全体のちょうど中程にあった。昭和21年に発見とある。古そうなお墓を総べてみたが確かにこれは異様である。Photo_12 2他にこんな石塔を発見したが、これは違うのだろうか? 「日本石仏事典」(雄山閣)には、T十字を刻するからといって単純に判断すべきではない、と書いてあるが・・・。

双体道祖神から始まった私の石仏探しの旅は、また新たな段階に入ったようだ。

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2008年2月 9日 (土)

新眼鏡で発見三つ

Photo先週検眼して作ってもらった、おにゅうな眼鏡を受け取りに行き、その足で新潟県境に近い猿ヶ京温泉の共同浴場・「いこい乃湯」に行った。三国トンネルに向かう猿ヶ京の街中で国道17号線は右にカーブするが、まっすぐ進むと旧三国街道。この細い旧街道筋には温泉民宿があって中々風情がある。この街道筋の左手に「いこい乃湯」はある。Photo_2 ほぼ1年ぶりの再訪。お客さんは誰もいない。私の好きな、熱くて無色透明の石膏泉にしばし一人でまったり。その後、周辺を散策し道祖神を探しながら帰路につく。

Photo_3珍しく明るい内に渋川周辺を走行していて新たな発見が二つ。先ずは、吾妻川の緑色が眼に飛び込む。寒い時期だから生物的な変化とは思えない。なぜなのだろう? 車を駐めてパチリ。

Photo_4Photo_5Photo_6街中を走行していて次なる発見は、「日本の臍」の碑とお地蔵さん。渋川市が「日本の臍」を標榜し、臍祭りを毎年開催しているのは知ってはいたが、その臍石と臍地蔵を見るのは初めてだ。我が町こそ「日本の中心」を標榜する市町村は、全国に10余りある。詳しくは、次をご覧ください。 http://f13.aaa.livedoor.jp/~photo/extremity/extremity.html

Photo_7 常に移り変わる「人口重心」を標榜して無駄な上物を作った、とある町もあるが、渋川市の根拠は、「本州最北端の北海道・宗谷岬と最南端の鹿児島県・佐多岬を直径とした円の中心」というもの。

Photo_8安中に着く頃には、雪が舞い始めてきた。国道18号線の板鼻陸橋をくぐって右折しようとして発見したのは、双代道祖神と庚申塔。十数年間で何度もこの道を通っていたのに全く気づいていなかった。「心ここにあらざれば、見ても見えず!」ってやつですね。この双体道祖神は刻んだ石の材質のお陰で保存状態がすこぶる良く、姿形や制作年代(安政5年=1858年)の刻印も全然風化していない(庚申塔は天明4年=1784年)。Photo_9 が、残念なことに何かがぶつかって剥落してしまったのか、一部が欠けている。そのため手に持っているものが何か判読しにくい。欠けたのはおそらく徳利で、酒器持ち系の双体道祖神に違いない、と私は見た。うれしい酒器持ち系の2例目である。

Photo_10 磯部田んぼの踏切で、横川行き電車に遭遇。慌ててカメラを取り出して撮った一枚がこれでした。

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2008年2月 2日 (土)

下秋間の道祖神

Photo 「双眼鏡880円」の折り込みチラシを見つけて、買いに出かけた。バードウッチング用の双眼鏡は持っているが、凄くコンパクトで廉価なので山登りの時にでも役立つかと、思ったから。

その後、かみさんと眼鏡を買いに出かけ、昼食後は床屋さんで散髪してもらったあとまたまた榛名湖温泉・「レークサイドゆうすげ」に。

Photo_2Photo_3Photo_4帰り道の下秋間周辺で、道祖神を巡る。県道・安中榛名湖線のわずか1kmの間に道祖神が6箇所もあった。まず最初に出会った雉子ヶ尾の双体道祖神は、手つなぎ系。制作年代は書いてない。次は、「道祖神」の文字のみ。Photo_5Photo_6 三番目に見つけたのは、馬頭観音と庚申信仰の石仏と思われる手が6本ある働き者の神。

6Photo_7藤ノ木の辻にあった双体道祖神は、肩を組み瓢箪の徳利らしきものを持っている。文献では知っていたが、道祖神巡りを始めてから初めて見た酒器持ち系である。

先人の研究に寄れば、上州の双体道祖神の神像は、「合掌系」「肩組み手握り系」「酒器持ち系」の三つを基本形としつつ、抱擁系・接吻系・交合系・餅搗き系など様々なバリエーションがあるようだ。

今日見た道祖神は、かなり風化が進んで表情や年代がわからなくなっている。天保年間(1830~1843)のものがあったので、大半が江戸時代末期のものと思われるが・・・。

さてさて、次はどんな像に巡り会えるか? 楽しみは尽きない。

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2008年1月26日 (土)

杉名の道祖神とお宮さん

PhotoPhoto_2歯医者の後、いつもと違う浅間山を求めて県道を中に入ったら庚申塔があった。行き過ぎたが引き返して車を止め、よく見たら双体道祖神もある。うれしい手つなぎ系だ。二体の右は、安政5年とある。いまからちょうど150年前。

この道路の北西には、一段高くなったところに何やら石組みのお宮さんがあり、石の階段を登って見に行く。赤城山・妙義山・浅間山が一望できる小高い山だが、祀られているものもなさそうだし、不思議に思う。近くのお宅におじゃまして、おじいさんから話を聞いた。

Photo_3「まー、座りなさい」と庭先で椅子を勧められ、話すこと二時間余り。実に素敵な時間であった。御年83歳のK氏は、38歳から3年間、養蚕で日本一になった方だった。庭木の手入れから釣り、養蚕、農のイロハなど色んな話が聞けた。感謝!!

Photo_4あのお宮さんは、天明3年の浅間山大噴火後に、村中から砂を持ち寄って一段高くして作ったものらしい。お宮は、12個の石で囲まれていて1月から12月までの1年を表しているという。村の安全・安寧を祈願し、皆が幸せになれるようにとの思いが込められているのだという。Photo_5 改めて見たら確かに周りの石は、12個だった。(上は、赤城山方面。右は、浅間山方面)

道祖神のほか、浅間山大噴火と庶民史に興味をもち始めた私であった。

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